surugi237のブログ

神学生/ 伝道師/ 心理セラピスト/呼吸法マスター 自殺願望者、麻薬中毒、精神問題を聖書的に解釈し生きる希望を届けるChristian YouTuber.

何が異端で何が異端ではないのか

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人々は福音を一度も聞かずに無神論者として生きています

 

いろんな人生の問題を通して

答えを探しながら迷いながら 

 

宗教にハマっている人がいます

 

その中でも、教会まで答えを探しに行きますが、

教会の人がその人に人生の答えを示さず

また、迷わせます

 

いろんな教会には行ってみたが、

霊的な焦り、霊的な飢乾きが少しも解決されず、

結局のところ、異端に走ってしまいます

 

これは誰の責任でしょうか?

 

異端の責任ではありません。

なぜなら彼らは答えがないから

答えがあるのに答えを伝えない教会の責任です。

また牧師の責任でもあります。

 

 

聖書の中にある 真理の福音を

教会生徒に確実に教えなければいけません。

 

 

生徒は救われた確信が生まれ、

福音を味わうキリストの証人に導く 

これが教会の役目だと思います。

 

聖書を知らなければ、真理を分別することは難しいです。

 

特に、霊的問題が深刻な生徒は

ただイエスキリストの福音だけが、

彼らの霊的な問題を解決することができます

 

生徒たちが福音で武装できたときにこそ、

異端の教理に対して分別力が与えられ

 

どんな誘惑にも騙されないと思います。

 

異端は 聖書とは全く違う内容を教える ことを指します。

 

パウロは異端の教えを 違うイエス、違う福音 違う霊 と言っています。

 

というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです。2コリント11:4

 

しかし、ここで、神学的異端かどうか区別する必要があるのが、

 

 

プロテスタント教会は教派が違うケースが多いからです

 

各教理の違いを 異見といい、

神学的な主張の違いを 異説といいます。

スタイルの違いで異端ではありません。

ここで明確な線引きが必要なのは

 

 

異端は 最後が違う という意味です。

聖書の言う異端は 始まりから違う、

また、最初から最後まで違うという意味です。

異端は キリスト教の本質から離れているという意味です

 

 

パウロはデタラメを語る使徒が現れるだろうと予言しています。

 

 

13 こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。

14 しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。

2コリ 13−14

 

違う福音とはどういうことでしょうか?

 

 

三位一体の神を否定

キリストが人間として来られることを否定、

エスキリストを通して、私たちの罪を解決し、

救いを与えることを否定

エス意外にも救いはあると主張

エスキリストの再臨は何月何日と決めること

自分がイエスキリストの生まれ変わり

 

こう言った主張は危険な異端です。

 

 

エス受肉を否定したり、イエス・キリストの完全な神性との完全な人性のうちどちらか一方を否定すると異端です

 

 

22 偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。

23 だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父を持っているのです。
ヨハネ2:22−23

 

1 愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。

2 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。

3 イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。

ヨハネ4:1−3

 

このようにイエス様は 神様でありながら、完全な人間です。 イエス様は

人間を救うために 罪のない神様であり、十字架で血を流す人間でなければいけません

なので イエスが、神の子であることを否定、御言葉が肉として来られることを否定することは アンチキリスト、異端です。

 

 

救いはイエスキリスト以外にもあることは有り得ません。

 

 

エス以外の名でも救いはあると主張することがあればそれは確実に異端でしょう。

 

エスキリストの再臨について 特別な場所、または時間を特定して主張することは

異端です

 

エスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
使徒の働き1:7

 

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

マタイ24:36

 

聖書には イエスの再臨の場所と時間は神様、父だけが知っていると言っています。

なのでその日を特定するために、無理やりに聖書を分析する必要はありません。

しかし、また来られる主を待ち望みながら信じることは生徒の信仰です。

 

今まで多くの

異端は、イエスの再臨の場所、時間を特定し、生徒を煽ってきました。

 

これこそ、悪霊の働きですね。

今まで何回もそんなことがありましたが、

彼らの望みとおりにイエス様は再臨されませんでした。

 

結局全てが嘘だったことがバレています。

 

 

これが間違った終末論なので 

正しい霊的な分別をしましょう

霊的な目で正しい判断をするために 常に霊的な武装をお勧めします。

 

 

42 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

43 しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかっしょう

44 だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

 

マタイ24:42−44

 

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